バッハ周辺のリュート奏者

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●S.L.ヴァイス Sylvius Leopold Weiss (1687-1750)
バッハとの関係は音楽仲間。ドレスデンのリュート奏者。1739年、ライプツィヒのJ.S.バッハ宅に1 ヶ月滞在した記録がある。その時期以外に二人が会ったこと示すを歴史的資料はない。しかし、それより前から、バッハはヴァイスのドレスデン就任後(1718年~)同地へ記録にあるだけでも、1725、1731、1733、1736、1738、1741年に訪問している。就中、1731年の9月には、ドレスデンでJ.A.ハッセのオペラ『クレオフィーデ』を鑑賞した記録があり、そこにはヴァイスもテオルボで参加していた。そのため、その時ヴァイスを「観た」ことは間違いない。ヴァイスも詳しい記録はないが、時折ライプツィヒを訪れていた。ライプツィヒのリュート製作家J.C.ホフマンに(ジャーマン?)テオルボを作らせていた記録もある。バッハとヴァイスの二人は早くから知己であった可能性も十分にある。
BWV1025については後述。

●J.クロプフガンス Johann Kropfgans (1708-?)
バッハとの関係は音楽仲間。ドレスデンのリュート奏者。1739年、ライプツィヒのJ.S.バッハ宅に1 ヶ月滞在した記録がある。それ以前に面識があったことを示す歴史的資料はない。

●J.C.ヴァイラウフ Johann Christian Weyrauch (1694-1771)
バッハとの関係は師弟。ライプツィヒの公証人で、リュートほか様々な楽器の演奏家、歌手。バッハは彼のために能力証明書 も書いている。またバッハは、1743年にはヴァイラウフの息子「ヨハン・セバスチャン」の教父となっている。BWV997,BWV1000のタブラチュア作成者。自身でも作曲したようで、次のような証言が残されている。「お送りくださいましたバッハのクラヴィーアのための作品と、ヴァイラウフのリュートのための作品、どちらもその美しさに劣らず骨の折れるものばかりでございます。…」(L.A.クルムスからライプツィヒのJ.C.ゴットシェート宛の手紙)※J.C.ゴットシェートはBWV198の作詞者でもある。

●J.L.クレープス Johann Ludwig Krebs (1713-1780)
バッハとの関係は師弟。リュートほか様々な楽器の演奏家。バッハは彼のために能力証明書も書い ている。(前述)

●R.シュトラウベ Rudolf Straube (1717-178?)
バッハとの関係は師弟。リュート奏者。ライプツィヒ大学に1740年入学。後にロンドンへ渡る。

●M.ナーゲル Maximilian Nagel(1712-1748)
バッハとの関係は師弟。ヴァイオリン、リュート奏者。ライプツィヒ大学在籍時にバッハの教会あるいはコレギウム・ムジクムでの演奏に出演。後にアンスバッハの宮廷リュート奏者。

●J.C.グレーディチュ Johan Caspar Gleditsch (1684-1747)
バッハとの関係は町音楽監督と町楽師。ライプツィヒでのバッハの楽団の主席オーボエ奏者。リュートも演奏する。

●E.G.バロン Ernst Gottlieb Baron (1696–1760)
バッハとの関係は知り合い?バッハと同時代の中部ドイツのリュート奏者。バッハの任期前にはライプツィヒ大学で学んでいる。1727年にニュルンベルクで出版した「Historisch-theoretische und practische Untersuchung des Instruments der Lauten(「楽器リュートの歴史的・理論的・実践的研究」)も良く知られている。その著作の中で、「…英国のヘンデル氏とライプツィヒの楽団長バッハ氏はマッテゾン氏よりクラヴィーア、クラヴサン、オルガンは遥かに上手だ。また、作曲においては、一層教養がにじみ出ており…」」と言及している。そのため、バッハの実演に接したことは間違いなく、個人的な知り合いであった可能性も十分にある。

●A.ファルケンハーゲン Adam Falkenhagen (1697-1754)
バッハと直接の面識はない?バッハと同時代の中部ドイツのリュート奏者。バッハの任期前にはライプツィヒ大学で学んでいる。BWV995のタブラチュア版がファルケンハーゲンの筆跡と非常に似ているため、その作成者ではないかといわれている。

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