バッハとリュートにまつわる疑問等

s-hoffmannbach
J.C Hoffmann, Leipzig

 

【バッハはリュートを弾けた?】
弾けたか弾けなかったかを証明する当時の資料はありませんが「あまり弾けなかった」とする説が支配的です。バッハのリュート作品が(他のリュート奏者によるタブラチュア化を別にすれば)五線譜で伝えられていること、それもリュートで実演するには難解であること、他の作曲家のタブラチュアを(BWV1025の基になったS.L.ヴァイスの組曲を除いては)所持していた記録がないこと、などが根拠のようです。

【バッハはJ.C.ホフマン作のジャーマン・テオルボを所有していた?】
よく言われる説ですが確証はありません。①バッハがホフマンの楽器の財産相続人であった。(後年バッハはその権利を息子に譲っている。)②バッハの遺産目録に高額なリュートがあった。③ホフマンはバッハと個人的に仲が良かった。(バッハはホフマンの姉妹の子の教父となっている。)④1729年、バッハはホフマンから聖トーマス学校用に弦楽器(ヴァイオリン族)を購入している。(ホフマンは「ザクセン選帝侯宮廷御用達リュート製作家」であり、聖トーマス、聖ニコライ教会の弦楽器の管理もしていた。)④ホフマンのジャーマン・テオルボがライプツィヒに現存している。と、このあたりが資料で確かめられる事柄であり、これらが混ざって作られた(有力)説ではないかと思います。

【ピッチ】
バロック時代には、標準のピッチ等は決まっておらず。同じ町の中でも複数のピッチが用いられることも普通でした。カンマートーンとコーアトーンのダブル・スタンダードは有名な例です。しかし、それぞれの絶対的ピッチや、どちらの方が高く、またどれだけ高いかも時代、場所によってまちまちでした。(よく「コーアトーンはA=466、カンマートーンはA=415、ヴェルサイユピッチはA=392」という俗説を耳にしますが、こんな単純な決まりは全くありません。)18世紀前半のドイツでは、おおむねコーアトーンの方がカンマートーンより、全音前後高かったようです。リュート族は常に低い方のピッチを採用していたようで、「近年のリュートはカンマートーンに調律されるため、ローマでは4週間もガット弦が切れなかった例もあるらしい。」との証言もあります。(G.E.バロン『楽器リュートに関する歴史的・理論的・実践的研究』 ニュルンベルク 1727年)殊にケーテン宮廷では低めのピッチが採用されていたという説が有力です。ですから、バッハのリュート作品及び声楽曲での演奏に際し、ピッチを下げ、楽譜を全音前後高く移調する試みは、歴史的アプローチであるといえます。(全てそうすべきかどうかは分かりませんが…。)

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