バッハとリュート

バッハとリュート Bach & Lute index

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バッハとリュートにまつわる資料
バッハ周辺のリュート奏者
バッハとリュートにまつわる疑問等

【リュート作品】
BWV995 組曲ト短調
BWV996 組曲ホ短調
BWV997 パルティータ ハ短調
BWV998 プレリュード、フーガとアレグロ 変ホ長調
BWV999 プレリュード ハ短調
BWV1000 フーガ ト短調
BWV1006a パルティータ ホ長調

【その他の作品】
BWV245 ヨハネ受難曲初稿 1724年(No.19 アリオーソ)
BWV244b マタイ受難曲初稿 1727年(No.56 レスタティーフ,No.57 アリア)
BWV198 カンタータ「候妃よ、さらに一条の光を」 1727年(全曲、2台のリュートによる通奏低音指定)
BWV1025 ヴァイオリンとチェンバロのための組曲 イ長調(S.L.ヴァイスのリュート曲を編曲)

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バッハとリュートにまつわる資料

●1719年8月、ケーテンの宮廷にて、デュッセルドルフのディスカンティストとリュート奏者が客演(ケーテン宮廷出納簿)

●「…カペルマイスターのヨハン・セバスティアン・バッハ氏によりイタリア風の形式で作曲された追悼の音楽が、バッハ氏自身によるチェンバロ、オルガン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リュート、ヴァイオリン、リコーダー、フラウト・トラヴェルソ等を使って短時間演奏された。…」(C.E.ジーグル「涙のライプツィヒ」1727年)

●「…クレープス氏は、クラヴィーア、ヴァイオリン、リュートの演奏にも、また、作曲にもすでに申し分なく熟達しており…」(J.S.バッハによるJ.L.クレープスのための能力証明書 ライプツィヒ 1735年)

●S.Lヴァイス、J.クロプフガンス両氏(いずれも高名なリュート奏者)が、J.S.バッハ宅に4週間以上滞在し「とびきり優雅な演奏会」を開催。W.F.バッハ(J.S.バッハ長男)と数回に渡り競演した。(J.E.バッハの手紙
ライプツィヒ 1739年)

●「リュート上で転調や技巧的パッセージを実施することがいかに困難であるかを知る者はきっと驚くに違いないし、それを実際に目撃した人が証言しても、ほとんど信じないだろう。偉大なドレスデンのリュート奏者ヴァイスが、自身偉大な鍵盤楽器奏者、オルガニストであったセバスチャン・バッハと競って即興でファンタジーとフーガを演奏したのである」(J.F.ライヒャルト『ベルリン音楽時報』1805年)

●J.C.ホフマンの遺言により、J.S.バッハを(リュートに限らず不特定の)楽器の財産相続人に指定。(J.C.ホフマン遺言状 ライプツィヒ 1743年)※J.S.バッハは1750年1月、この権利を息子J.C.F.バッハに譲渡した。

●J.S.バッハ遺産抜粋「ラウテンヴェルク(リュート・チェンバロ)2台 各30ターラー、リュート1台 21ターラー」(遺産相続配分記録 ライプツィヒ
1750年)

●J.S.バッハ「リュートのための3つのパルティータ」(ブライトコフ社の出版カタログ掲載 1761,1836年)

●1715年5月、ヴァイマール宮廷、ヨハン・ニコラウス・バッハ(J.S.バッハのいとこ)からラウテンヴェルク(リュート・チェンバロ)を購入。(さらに、バッハはケーテン時代に今度は自分の楽器として、同じ人物へラウテンヴェルクを60ターラーで製作依頼をしたという有力説がある。)

●「1740年頃ライプツィヒで、ヨハン・セバスティアン・バッハ氏によって計画され、ツァハリーアス・ヒルデブラント氏によって完成されたリュート・チェンバロなるものを見、かつその音を聴いたときのことを思い出す。…本職のリュート奏者でさえも騙されるほどそっくりの音が出た。…」(J.F.アグリコラによる、アードルング『楽器構造論』への註
ベルリン 1768年)

バッハ周辺のリュート奏者

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●S.L.ヴァイス Sylvius Leopold Weiss (1687-1750)
バッハとの関係は音楽仲間。ドレスデンのリュート奏者。1739年、ライプツィヒのJ.S.バッハ宅に1 ヶ月滞在した記録がある。その時期以外に二人が会ったこと示すを歴史的資料はない。しかし、それより前から、バッハはヴァイスのドレスデン就任後(1718年~)同地へ記録にあるだけでも、1725、1731、1733、1736、1738、1741年に訪問している。就中、1731年の9月には、ドレスデンでJ.A.ハッセのオペラ『クレオフィーデ』を鑑賞した記録があり、そこにはヴァイスもテオルボで参加していた。そのため、その時ヴァイスを「観た」ことは間違いない。ヴァイスも詳しい記録はないが、時折ライプツィヒを訪れていた。ライプツィヒのリュート製作家J.C.ホフマンに(ジャーマン?)テオルボを作らせていた記録もある。バッハとヴァイスの二人は早くから知己であった可能性も十分にある。
BWV1025については後述。

●J.クロプフガンス Johann Kropfgans (1708-?)
バッハとの関係は音楽仲間。ドレスデンのリュート奏者。1739年、ライプツィヒのJ.S.バッハ宅に1 ヶ月滞在した記録がある。それ以前に面識があったことを示す歴史的資料はない。

●J.C.ヴァイラウフ Johann Christian Weyrauch (1694-1771)
バッハとの関係は師弟。ライプツィヒの公証人で、リュートほか様々な楽器の演奏家、歌手。バッハは彼のために能力証明書 も書いている。またバッハは、1743年にはヴァイラウフの息子「ヨハン・セバスチャン」の教父となっている。BWV997,BWV1000のタブラチュア作成者。自身でも作曲したようで、次のような証言が残されている。「お送りくださいましたバッハのクラヴィーアのための作品と、ヴァイラウフのリュートのための作品、どちらもその美しさに劣らず骨の折れるものばかりでございます。…」(L.A.クルムスからライプツィヒのJ.C.ゴットシェート宛の手紙)※J.C.ゴットシェートはBWV198の作詞者でもある。

●J.L.クレープス Johann Ludwig Krebs (1713-1780)
バッハとの関係は師弟。リュートほか様々な楽器の演奏家。バッハは彼のために能力証明書も書い ている。(前述)

●R.シュトラウベ Rudolf Straube (1717-178?)
バッハとの関係は師弟。リュート奏者。ライプツィヒ大学に1740年入学。後にロンドンへ渡る。

●M.ナーゲル Maximilian Nagel(1712-1748)
バッハとの関係は師弟。ヴァイオリン、リュート奏者。ライプツィヒ大学在籍時にバッハの教会あるいはコレギウム・ムジクムでの演奏に出演。後にアンスバッハの宮廷リュート奏者。

●J.C.グレーディチュ Johan Caspar Gleditsch (1684-1747)
バッハとの関係は町音楽監督と町楽師。ライプツィヒでのバッハの楽団の主席オーボエ奏者。リュートも演奏する。

●E.G.バロン Ernst Gottlieb Baron (1696–1760)
バッハとの関係は知り合い?バッハと同時代の中部ドイツのリュート奏者。バッハの任期前にはライプツィヒ大学で学んでいる。1727年にニュルンベルクで出版した「Historisch-theoretische und practische Untersuchung des Instruments der Lauten(「楽器リュートの歴史的・理論的・実践的研究」)も良く知られている。その著作の中で、「…英国のヘンデル氏とライプツィヒの楽団長バッハ氏はマッテゾン氏よりクラヴィーア、クラヴサン、オルガンは遥かに上手だ。また、作曲においては、一層教養がにじみ出ており…」」と言及している。そのため、バッハの実演に接したことは間違いなく、個人的な知り合いであった可能性も十分にある。

●A.ファルケンハーゲン Adam Falkenhagen (1697-1754)
バッハと直接の面識はない?バッハと同時代の中部ドイツのリュート奏者。バッハの任期前にはライプツィヒ大学で学んでいる。BWV995のタブラチュア版がファルケンハーゲンの筆跡と非常に似ているため、その作成者ではないかといわれている。

バッハとリュートにまつわる疑問等

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J.C Hoffmann, Leipzig

 

【バッハはリュートを弾けた?】
弾けたか弾けなかったかを証明する当時の資料はありませんが「あまり弾けなかった」とする説が支配的です。バッハのリュート作品が(他のリュート奏者によるタブラチュア化を別にすれば)五線譜で伝えられていること、それもリュートで実演するには難解であること、他の作曲家のタブラチュアを(BWV1025の基になったS.L.ヴァイスの組曲を除いては)所持していた記録がないこと、などが根拠のようです。

【バッハはJ.C.ホフマン作のジャーマン・テオルボを所有していた?】
よく言われる説ですが確証はありません。①バッハがホフマンの楽器の財産相続人であった。(後年バッハはその権利を息子に譲っている。)②バッハの遺産目録に高額なリュートがあった。③ホフマンはバッハと個人的に仲が良かった。(バッハはホフマンの姉妹の子の教父となっている。)④1729年、バッハはホフマンから聖トーマス学校用に弦楽器(ヴァイオリン族)を購入している。(ホフマンは「ザクセン選帝侯宮廷御用達リュート製作家」であり、聖トーマス、聖ニコライ教会の弦楽器の管理もしていた。)④ホフマンのジャーマン・テオルボがライプツィヒに現存している。と、このあたりが資料で確かめられる事柄であり、これらが混ざって作られた(有力)説ではないかと思います。

【ピッチ】
バロック時代には、標準のピッチ等は決まっておらず。同じ町の中でも複数のピッチが用いられることも普通でした。カンマートーンとコーアトーンのダブル・スタンダードは有名な例です。しかし、それぞれの絶対的ピッチや、どちらの方が高く、またどれだけ高いかも時代、場所によってまちまちでした。(よく「コーアトーンはA=466、カンマートーンはA=415、ヴェルサイユピッチはA=392」という俗説を耳にしますが、こんな単純な決まりは全くありません。)18世紀前半のドイツでは、おおむねコーアトーンの方がカンマートーンより、全音前後高かったようです。リュート族は常に低い方のピッチを採用していたようで、「近年のリュートはカンマートーンに調律されるため、ローマでは4週間もガット弦が切れなかった例もあるらしい。」との証言もあります。(G.E.バロン『楽器リュートに関する歴史的・理論的・実践的研究』 ニュルンベルク 1727年)殊にケーテン宮廷では低めのピッチが採用されていたという説が有力です。ですから、バッハのリュート作品及び声楽曲での演奏に際し、ピッチを下げ、楽譜を全音前後高く移調する試みは、歴史的アプローチであるといえます。(全てそうすべきかどうかは分かりませんが…。)

BWV995 組曲ト短調

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【主要原典】
「Suite pour la Luth par J.S.Bach」(「Pièces pour la Luth à Monsieur Schouster par J.S. Bach」)
J.S.バッハ自筆による二段五線譜 ベルギー王立図書館蔵 1727-1731年成立(新バッハ全集)

「Pieces pour le lut par Sre J.S.Bach」
A.ファルケンハーゲン?によるタブラチュア譜 ライプツィヒ市立図書館蔵 18世紀成立(新バッハ全集)

【リュート作品である根拠】
バッハ自身の手により「リュートのための組曲」との表題あり

【曲目】
Prelude(tres viste)
Allemande
Courante
Sarabande
Gavotte I
Gavotte II en Rondeau
Gigue

【解説】
無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011 の編曲。どちらが先か確定できませんが、楽譜に使用している紙の材質等から判断し、チェロ版が先で、後年バッハが音を加えリュートに編曲した、という説が支配的です。バッハによる自筆譜と、A.ファルケンハーゲンによるものとみられるタブラチュア譜が伝わっていますが、これらは少なからず音の相違があります。自筆譜の表紙には 「J.S.バッハによる、シュースター氏のためのリュート作品」と書かれていますが、シュースター氏が何者かは分かっていません。A.ファルケンハーゲンが懇意にしていた出版業者のシュースター氏ではないか、という説があります。

自筆譜が作成された1730年頃のバロック・リュートは13コースが標準で、最低音はAですが、この楽譜には1音下のGが頻出します。そこで、演奏の際には「14コース・リュートを用いる」「最低音Gを1オクターブ上げる」「変則調弦を用いる」「高く移調する」等の現実的処理が必要になります。14コース・リュートはライプツィヒにJ.C.ホフマン作のものが残されています。しかし、18世紀のタブラチュアで14コース目を指定しているものは確認されておらず、一般的ではなかったと考えるべきでしょう。とはいえ、現代のプロのリュート奏者には「バッハのリュート作品の中で唯一(14コースがあれば)ほとんど音の変更をせずに演奏できる。」として重宝している方もいるようです。また、A.ファルケンハーゲンによるものとみられるタブラチュアでは、最低音Gを1オクターブ上げて解決しています。なお、ピッチの項でも書きましたが、高く移調して弾くことも歴史的解決法です。