バッハとリュートにまつわる資料

●1719年8月、ケーテンの宮廷にて、デュッセルドルフのディスカンティストとリュート奏者が客演(ケーテン宮廷出納簿)

●「…カペルマイスターのヨハン・セバスティアン・バッハ氏によりイタリア風の形式で作曲された追悼の音楽が、バッハ氏自身によるチェンバロ、オルガン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リュート、ヴァイオリン、リコーダー、フラウト・トラヴェルソ等を使って短時間演奏された。…」(C.E.ジーグル「涙のライプツィヒ」1727年)

●「…クレープス氏は、クラヴィーア、ヴァイオリン、リュートの演奏にも、また、作曲にもすでに申し分なく熟達しており…」(J.S.バッハによるJ.L.クレープスのための能力証明書 ライプツィヒ 1735年)

●S.Lヴァイス、J.クロプフガンス両氏(いずれも高名なリュート奏者)が、J.S.バッハ宅に4週間以上滞在し「とびきり優雅な演奏会」を開催。W.F.バッハ(J.S.バッハ長男)と数回に渡り競演した。(J.E.バッハの手紙
ライプツィヒ 1739年)

●「リュート上で転調や技巧的パッセージを実施することがいかに困難であるかを知る者はきっと驚くに違いないし、それを実際に目撃した人が証言しても、ほとんど信じないだろう。偉大なドレスデンのリュート奏者ヴァイスが、自身偉大な鍵盤楽器奏者、オルガニストであったセバスチャン・バッハと競って即興でファンタジーとフーガを演奏したのである」(J.F.ライヒャルト『ベルリン音楽時報』1805年)

●J.C.ホフマンの遺言により、J.S.バッハを(リュートに限らず不特定の)楽器の財産相続人に指定。(J.C.ホフマン遺言状 ライプツィヒ 1743年)※J.S.バッハは1750年1月、この権利を息子J.C.F.バッハに譲渡した。

●J.S.バッハ遺産抜粋「ラウテンヴェルク(リュート・チェンバロ)2台 各30ターラー、リュート1台 21ターラー」(遺産相続配分記録 ライプツィヒ
1750年)

●J.S.バッハ「リュートのための3つのパルティータ」(ブライトコフ社の出版カタログ掲載 1761,1836年)

●1715年5月、ヴァイマール宮廷、ヨハン・ニコラウス・バッハ(J.S.バッハのいとこ)からラウテンヴェルク(リュート・チェンバロ)を購入。(さらに、バッハはケーテン時代に今度は自分の楽器として、同じ人物へラウテンヴェルクを60ターラーで製作依頼をしたという有力説がある。)

●「1740年頃ライプツィヒで、ヨハン・セバスティアン・バッハ氏によって計画され、ツァハリーアス・ヒルデブラント氏によって完成されたリュート・チェンバロなるものを見、かつその音を聴いたときのことを思い出す。…本職のリュート奏者でさえも騙されるほどそっくりの音が出た。…」(J.F.アグリコラによる、アードルング『楽器構造論』への註
ベルリン 1768年)

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